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しんだちどり

死んだ千鳥

吉川 英治

「婦人倶楽部 臨時増刊」大日本雄弁会講談社、1937(昭和12)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,539 字 · 32 页

青空文庫

まだ戦慄のやまないような声で、墨江が云うと、伏原半蔵は、冷淡な投げ調子で、

『帰る? ……そうか、帰るなら帰れ。……だが、今渡した五十両は、こっちへ戻して貰うかな』

『げッ……あ、あのお金は』

『あの金は、僅の物に相違あるめえが、僅の物を返せというのに、何を恟ッとしているのだ。よこせ、此っ方へ!』

『……では! ……では伏原様、あなたはわたしを、騙したのですか』

『知れたこった。不服なら、何処へでも訴えろ』

『まあ! ……あ、あんまりですっ。く、くやしい! ……』

『この辺は、小千鳥の名物だ、まだ出合茶屋も宵のうちだし、たくさん泣いているがいい。……どれ俺は一足お先に』

泣き伏している彼女の胸の下から、先に渡した金を捲き取って自分の懐中に入れ直すと、せせら笑いしながら、伏原はすっと其の室を出て行った。

――今し方、入口の暖簾先に佇んでいた侍が、中庭へ這入って行ったのと、伏原がその家の裏口からそわそわ立ち去って行ったのと、ちょうど入れ交いぐらいな時間の差であった。

『……ア! しまった』

中庭の闇へ、編笠をかなぐり捨てた侍は、そこの四畳半を撫でまわす途端にそう叫んだ。