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ししゃのしょ
死者の書
折口 信夫
「日本評論 第十四巻第一号~三号」1939(昭和14)年1月~3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 62,340 字 · 126 页
岩窟は、沈々と黝くなって冷えて行く。
した した。水は、岩肌を絞って垂れている。
耳面刀自。おれには、子がない。子がなくなった。おれは、その栄えている世の中には、跡を貽して来なかった。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り伝える子どもを――。
岩牀の上に、再白々と横って見えるのは、身じろきもせぬからだである。唯その真裸な骨の上に、鋭い感覚ばかりが活きているのであった。
まだ反省のとり戻されぬむくろには、心になるものがあって、心はなかった。
耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であったに違いはない。自分すら忘れきった、彼の人の出来あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髄の心までも、唯彫りつけられたようになって、残っているのである。
万法蔵院の晨朝の鐘だ。夜の曙色に、一度騒立った物々の胸をおちつかせる様に、鳴りわたる鐘の音だ。一ぱし白みかかって来た東は、更にほの暗い明け昏れの寂けさに返った。
南家の郎女は、一茎の草のそよぎでも聴き取れる暁凪ぎを、自身擾すことをすまいと言う風に、見じろきすらもせずに居る。
夜の間よりも暗くなった廬の中では、明王像の立ち処さえ見定められぬばかりになって居る。