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ししゃのしょ

死者の書

折口 信夫

「日本評論 第十四巻第一号~三号」1939(昭和14)年1月~3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 62,340 字 · 126 页

青空文庫

だが、俊敏な此旅びとの胸に、其に似たほのかな綜合の、出来あがって居たのは疑われぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行った。

此寺の落慶供養のあったのは、つい四五日前であった。まだあの日の喜ばしい騒ぎの響みが、どこかにする様に、麓の村びと等には、感じられて居る程である。

山颪に吹き暴されて、荒草深い山裾の斜面に、万法蔵院の細々とした御灯の、煽られて居たのに目馴れた人たちは、この幸福な転変に、目をって居るだろう。此郷に田荘を残して、奈良に数代住みついた豪族の主人も、その日は、帰って来て居たっけ。此は、天竺の狐の為わざではないか、其とも、この葛城郡に、昔から残っている幻術師のする迷わしではないか。あまり荘厳を極めた建て物に、故知らぬ反感まで唆られて、廊を踏み鳴し、柱を叩いて見たりしたものも、その供人のうちにはあった。

数年前の春の初め、野焼きの火が燃えのぼって来て、唯一宇あった萱堂が、忽痕もなくなった。そんな小な事件が起って、注意を促してすら、そこに、曾て美しい福田と、寺の創められた代を、思い出す者もなかった程、それはそれは、微かな遠い昔であった。