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ししゃのしょ

死者の書

折口 信夫

「日本評論 第十四巻第一号~三号」1939(昭和14)年1月~3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 62,340 字 · 126 页

青空文庫

山はずっしりとおちつき、野はおだやかに畝って居る。こうして居て、何の物思いがあろう。この貴な娘御は、やがて後をふり向いて、山のなぞえについて、次第に首をあげて行った。

二上山。ああこの山を仰ぐ、言い知らぬ胸騒ぎ。――藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覚えた、今の先の心とは、すっかり違った胸の悸き。旅の郎女は、脇目も触らず、山に見入っている。そうして、静かな思いの充ちて来る満悦を、深く覚えた。昔びとは、確実な表現を知らぬ。だが謂わば、――平野の里に感じた喜びは、過去生に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは、未来世を思う心躍りだ、とも謂えよう。

塔はまだ、厳重にやらいを組んだまま、人の立ち入りを禁めてあった。でも、ものに拘泥することを教えられて居ぬ姫は、何時の間にか、塔の初重の欄干に、自分のよりかかって居るのに気がついた。そうして、しみじみと山に見入って居る。まるで瞳が、吸いこまれるように。山と自分とに繋る深い交渉を、又くり返し思い初めていた。

郎女の家は、奈良東城、右京三条第七坊にある。祖父武智麻呂のここで亡くなって後、父が移り住んでからも、大分の年月になる。