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ししゃのしょ
死者の書
折口 信夫
「日本評論 第十四巻第一号~三号」1939(昭和14)年1月~3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 62,340 字 · 126 页
物の音。――つた つたと来て、ふうと佇ち止るけはい。耳をすますと、元の寂かな夜に、――激ち降る谷のとよみ。
つた つた つた。
又、ひたと止む。
この狭い廬の中を、何時まで歩く、跫音だろう。
つた。
郎女は刹那、思い出して帳台の中で、身を固くした。次にわじわじと戦きが出て来た。
天若御子――。
ようべ、当麻語部嫗の聞した物語り。ああ其お方の、来て窺う夜なのか。
――青馬の 耳面刀自。
刀自もがも。女弟もがも。
その子の はらからの子の
処女子の 一人
一人だに わが配偶に来よ
まことに畏しいと言うことを覚えぬ郎女にしては、初めてまざまざと、圧えられるような畏さを知った。あああの歌が、胸に生き蘇って来る。忘れたい歌の文句が、はっきりと意味を持って、姫の唱えぬ口の詞から、胸にとおって響く。乳房から迸り出ようとするときめき。
帷帳がふわと、風を含んだ様に皺だむ。
ついと、凍る様な冷気――。
郎女は目を瞑った。だが――瞬間睫の間から映った細い白い指、まるで骨のような――帷帳を掴んだ片手の白く光る指。
なも 阿弥陀ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ。
何の反省もなく、唇を洩れた詞。この時、姫の心は、急に寛ぎを感じた。