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げんかくさんぼう
玄鶴山房
一、二「中央公論 第四十二年第一号」1927(昭和2)年1月1日発行<br>三~六「中央公論 第四十二年第二号」1927(昭和2)年2月1日発行
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,434 字 · 25 页
若しそこに少しでも明るい一面があるとすれば、それは唯何も知らない幼年時代の記憶だけだった。彼は度たび夢うつつの間に彼の両親の住んでいた信州の或山峡の村を、――殊に石を置いた板葺き屋根や蚕臭い桑ボヤを思い出した。が、その記憶もつづかなかった。彼は時々唸り声の間に観音経を唱えて見たり、昔のはやり歌をうたって見たりした。しかも「妙音観世音、梵音海潮音、勝彼世間音」を唱えた後、「かっぽれ、かっぽれ」をうたうことは滑稽にも彼には勿体ない気がした。
「寝るが極楽。寝るが極楽………」
玄鶴は何も彼も忘れる為に唯ぐっすり眠りたかった。実際又甲野は彼の為に催眠薬を与える外にもヘロインなどを注射していた。けれども彼には眠りさえいつも安らかには限らなかった。彼は時々夢の中にお芳や文太郎に出合ったりした。それは彼には、――夢の中の彼には明るい心もちのするものだった。(彼は或夜の夢の中にはまだ新しい花札の「桜の二十」と話していた。しかもその又「桜の二十」は四五年前のお芳の顔をしていた。)しかしそれだけに目の醒めた後は一層彼を見じめにした。玄鶴はいつか眠ることにも恐怖に近い不安を感ずるようになった。