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うつくしいにほんのれきし
美しい日本の歴史
吉川 英治
「週刊文春」1959(昭和34)年
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,561 字 · 37 页
『あの池には、鯉がいてもいいな』
と、独り呟いた。
そして夕刻、何気なく下城して帰ってみると、邸内いたる所に鯉を入れた桶や槽がおいてあって、
『なんとした事やら、今日一日中、諸家や諸職の町人から、鯉の到来物で、もう池にははいり切れません』
と、家臣も途方にくれていたという。
これで見ると、贈賄する方は、つねづね彼の身辺にまで腐心の末の隠密を用いていた事さえわかる。どうしたら先方の気に入るだろうか。あらゆる苦心をするものらしい。だからこれらの魑魅がなす社会作用も恐るべきではあるまいか。そうした風潮が時の官権へいかに腐心して媚びを競ったかという実例に、当時、吉原あたりでは“ままごと棚”と称する一つの名物を生んだと「匏庵遺稿」は書いている。
誰が考えたのか。
指物師の上手に作らせた五尺ほどな小棚の多い水屋棚を作らせ、それに数々な珍味佳肴を入れ、爼板、庖丁のたぐいまで、ふさわしいのを添え、或る折、田沼の慰めに送ったらしい。すると忽ちそれの好評がまた拡まって、やれ花見に、やれ隅田川の船遊びにと、ほかの権勢家への贈答にも利用され、指物師は巨利をはくしたという事である。