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くものゆめ
蜘蛛の夢
岡本 綺堂
岡本綺堂『蜘蛛の夢』。同一底本的分册已合并为一书。收入:蜘蛛の夢、穴、有喜世新聞の話、恨みの蠑螺、火薬庫、真鬼偽鬼、慈悲心鳥、女侠伝、廿九日の牡丹餅、放し鰻、馬妖記、平造とお鶴。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 147,189 字 · 298 页
この戦時の忙がしい最中に、大尉が悠々と釣りなどをしているのもおかしい。殊に大尉は軍人にはめずらしいくらいの愛想のよい人で、出入りの商人などに対してもいつも丁寧に応対するというので、誰にもかれにも非常に評判のよい人である。その大尉殿が毎日のように顔を見合せている自分に対して、なんの挨拶もせずに行き過ぎてしまったのは、どうもおかしい。うす暗いので、もしや人違いをしたのかとも思ったが、マッチの火にうつった男の顔はたしかに向田大尉に相違ないと、佐山君は認めた。
「わざと知らぬ顔をしていたのかも知れない。」
大尉は忙がしい暇をぬすんで、自分の好きな魚釣りに出て来た。そこを自分に認められた。この軍国多事の際に、軍人が悠長らしく釣竿などを持出しているところを、人に見つけられては工合が悪いので、彼はわざと知らぬ顔をして行き過ぎてしまった。――そんなことは実際ないともいえない。佐山君は大尉が無愛想の理由をまずこう解釈して、そのままに自分の店へ帰った。夕飯を食うときに、佐山君は古参の朋輩に訊いた。
「向田大尉は釣りが好きですか。」
「釣り……。」と、彼はすこし考えていた。