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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
線上閱讀戸坂 潤《思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 頁
だからそのためには思想・科学・論理・理論、等々に対する機械論的形式論的な仮定は、決してそのままの形で現われないのであって、却ってそうした仮定を検証するかのようなものとしての擬装の下に、この仮定の代理者が現われて来る。反ラショナリズム・反理知主義・等々がそれであったが、現下の社会の熱心な要求は、マルクス主義による思想上の党派性=首尾一貫性から自らをかく解放する(例えば文学の政治的なるものからの文学一般としての解放)口実をば、もっと内具的に、内密的に発見することを必要とする。で合理性の拒絶は、今や生(生命・生活)の哲学の名の下に権威づけられる。理性が何を要求しようとも、どういう効果を眼の前でひけらかそうとも、それを蹂躙することは「私」の自由ではないか。私は一体単に合理的な知的存在につきるとでも云うのであるか、と彼等シェストーフ的者は云い始める。
だがここには実に沢山の問題が雑居しているのである。まずヘーゲルの理性がその意図においてただの合理主義のものでなかったということは、大いに彼等に反省を需めていい点だが(又しても機械論)、もう飽き飽きしたから云うのは止そう。