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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

線上閱讀戸坂 潤《思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 頁

青空文庫

常識や之と直接連関している日常性に就いては、前に色々述べたばかりだから今は省こう。併し少なくとも以上のような方針で考えて行くことによって、大衆性とか通俗性とか、それから常識とか日常性とかいうものの持つ意義が、所謂通俗な常識を超えたものだということが見られると思う。

さてわが国などで啓蒙というものに就いて懐かれている見解が又右と全く同様にごく浅墓な「常識」のものだということが判るだろう。田口鼎軒は驚くべき経済学者であり歴史家であった。併し之に対して、福沢諭吉が結局啓蒙家に過ぎなかったからと云って、その文化史上の意義を軽んじることは出来まい。ユーベルヴェークの哲学史に福沢諭吉が日本の哲学者の筆頭として載っているのを嗤うものは、哲学に就いて甚だ平俗な観念しか持たない者だろう。一体なぜ福沢諭吉は啓蒙家ということになっているかというと、それは今まで云って来た処に関する限り、彼が新知識と新思想との卓越した紹介者だったからである。丁度今日、シェストーフが、ニーチェが、キールケゴールが、又々ベルグソンが、新知識新思想として紹介され再紹介されるのと、それはこの点で変りがない。