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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

線上閱讀山本 周五郎《樅ノ木は残った(もみノきはのこった)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 頁

青空文庫

、正直にいって、あの方さえいなければ」

玄四郎は急に口をつぐみ、吃驚したように左のほうへ振向いた。

笠木塀を隔てた向うは、小者長屋と馬役の小屋が並び、そのうしろに厩がある。いまその小者長屋のあたりから、人の揉み合うけはいと、喉いっぱいに叫ぶ、誰かのしゃがれた喚き声が聞えて来た。

「放せ、おれは乱暴はしない」とそのしゃがれた声は叫んでいた、「おれは妹に会いたいのだ、用人にそう取次いでくれ、妹の名は滝尾という、おれは柿崎六郎兵衛という者だ、用人に取次いでくれればわかる、なんだ、どうするんだ、放せ」

「おい、きさまよく聞け」と小者の一人の云うのが聞えた、「きさまの云うその滝尾という女中は、何年もまえにこのお屋敷から出奔した、いいか、これは何十遍となく云いきかせたことだ、そうだろう」

「それは事実ではない、そんな筈はない」としゃがれた声がやり返した、「妹がおれに無断で出奔する筈はない、それは嘘だ」

玄四郎はそこまで聞くと、塀について歩いてゆき、木戸をぬけてそっちへいった。

――おみやの兄だ。

いつか池之端の茶屋で、滝尾から話しを聞いたことがある。名は記憶していないが、滝尾の兄といえばその人であろう。