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しほんたいへいき
私本太平記(一)
吉川 英治
Read 私本太平記(一) (しほんたいへいき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 246,214 characters · 495 screens
「ありがとう存じまする」
「先頃の大雨は、鎌倉表も変りないはず。万一、召の御期日に遅るるとも、義貞が先に着いて、公儀向きへは、よしなに旅途の困難を披露しおけば、お気づかいあるなとも申せ……」
「は。御好意のほど、よくおつたえ申しあげまする」
「むむ。いずれ鎌倉の府にて、お目にはかかるが」
言いすてて、義貞は列に回り、まっ黒な一陣影を、南の方へ、見るまに小さくして行った。
別れて小一里、右馬介が、やがて多摩川の大丸河原へ出たときは、はや宵月が冴えていた。
「なるほど」
夜目にすら濁流の色がわかる。日ごろの鎌倉街道も人影一つなく、ただ、大丸渡しの渡し小屋には、にぶい灯の色が一つあった。
小屋を覗いて。
「足利殿の御人数は渡ったか」
すると、小屋の男がいう。
――新田殿は、今日の午下がり頃大がかりな筏組を作らせ、両岸へ綱を張って、無二無三渡られたが、足利殿は、まだ川止め状態のまま、府中にお泊りらしい御様子、と。
「そうか。向う岸まで手繰り綱があるとは倖せ。ひとつ渡舟を出してくれい。駄賃はいくらでもやるぞ。望み次第与えるほどに」
高氏は、武蔵府中の駅路で川止めにあっていた。