Japanische Klassiker mit Furigana
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わすれのこりのき
忘れ残りの記
吉川 英治
Lesen Sie 忘れ残りの記 (わすれのこりのき) von 吉川 英治 (よしかわえいじ) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 193.050 Zeichen · 383 Bildschirme
と云うのである。
書かなければいけない主命のように思って、ぼくは鉛筆を取出して何か書き出した。文の内容などはすっかり忘れているが、硝子戸越しに、その晩の雨の往来を行き交う人力車の灯や蛇の目傘の人通りなどを見つめたりして、やっと写生文体にして書いた事だけは思い出される――で、それを畏る畏る客と主人の前へ持って出て引き退がった。それから二人の大人が、ぼくの作文を机にのせて、頬杖つきながら首を寄せ合っているのも長い時間であった。その間じゅう、ぼくは胸が動悸していた。主人も客も、ぼくへは、うんともすんとも云わなかった。そしてその晩はべつに何の事もなく客が帰ると戸を卸していつものように薄い蒲団にくるまって寝ただけだった。
ところが、翌朝、ぼくは主人の前に呼ばれた。主人の見事な筆蹟で書いた、ぼくの父宛ての封書が前に置かれてある。それをちょっと指の先で突き出して「これを持って、うちへ帰んなさい。わけは中に書いてある。そしてね、荷物は後から誰でも取りにお出で」と云うことであった。
川村印章店の台所口からぼくは往来へ出て行った。堪らない情けなさで胸がつまっていた。