Japanische Klassiker mit Furigana
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わすれのこりのき
忘れ残りの記
吉川 英治
Lesen Sie 忘れ残りの記 (わすれのこりのき) von 吉川 英治 (よしかわえいじ) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 193.050 Zeichen · 383 Bildschirme
せっかく採用通知をうけながら、その為、行かず仕舞いにしてしまった事も一、二度あった。
けれどその後、何かの必要でほんとに戸籍謄本を取って母から見せてもらった時つぶさに見たが、父の欄にもどこにも、べつだん何も書いてはなかった。だから徒らな杞憂に過ぎなかったわけであるが、しかし父自身も出所当座は、沢山な子の将来にかけて、そんな心配も怏々と胸に抱いたことであったろうと思われる。
いやそれにも増して、当面の父が何より懊悩したのは「世間に顔が出せない」と自ら心を閉じてしまう廉恥ではなかったろうか。一面には明治士族のコチコチな頑固な道義観念から脱けきれていず、半面にはまた、開港地の紳商間に一度顔を売ったりした派手派手しい生活の見得なども残していて、世間の思わく以上に、自身、世間から遠のいてゆく風がだんだん父の日常に見え出していた。
父は病床を払うと、或る日とつぜん、易の看板を掛けるのだから、建具屋かどこかで手頃な板を買って来いと、母へ云い出した。
母にもまだ気のせまい世間の見得があったのか、あるいは、自分自身が明日の暮しも分らないどん底にいるくせに、人の身の上を観て上げるなんて空怖ろしい事だとでも考えたのか、そうまでなさらなくてもと、数日は父の云い出しを何のかのと止めている風だった。