Classici giapponesi con furigana
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
Leggi 渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) di Mori Ōgai (森 鴎外) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 166.525 caratteri · 334 schermate
五百が専六をして元秀に従学せしめたのは、実にその人を獲たものというべきである。
元秀の養子完造は本山崎氏で、蘭法医伊東玄朴の門人である。完造の養子芳甫さんは本鳴海氏で、今弘前の北川端町に住んでいる。元秀の実家の裔は弘前の徒町川端町の対馬※蔵さんである。
専六は元秀の如き良師を得たが、憾むらくは心、医となることを欲せなかった。弘前の人は毎に、円頂の専六が筒袖の衣を著、短袴を穿き、赤毛布を纏って銃を負い、山野を跋渉するのを見た。これは当時の兵士の服装である。
専六は兵士の間に交を求めた。兵士らは呼ぶに医者銃隊の名を以てして、頗るこれを愛好した。
時に弘前に徙った定府中に、山澄吉蔵というものがあった。名を直清といって、津軽藩が文久三年に江戸に遣った海軍修行生徒七人の中で、中小姓を勤めていた。築地海軍操練所で算数の学を修め、次で塾の教員の列に加わった。弘前に徙って間もなく、山澄は熕隊司令官にせられた。兵士中身を立てんと欲するものは、多くこの山澄を師として洋算を学んだ。専六もまた藤田潜、柏原櫟蔵らと共に山澄の門に入って、洋算簿記を学ぶこととなり、いつとなく元秀の講筵には臨まなくなった。