Classici giapponesi con furigana
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
Leggi 渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) di Mori Ōgai (森 鴎外) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 166.525 caratteri · 334 schermate
道陸は剃髪してからの称である。医を今大路侍従道三玄淵に学び、元禄十七年三月十二日に江戸で津軽越中守信政に召し抱えられて、擬作金三枚十人扶持を受けた。元禄十七年は宝永と改元せられた年である。師道三は故土佐守信義の五女を娶って、信政の姉壻になっていたのである。辰盛は宝永三年に信政に随って津軽に往き、四年正月二十八日に知行二百石になり、宝永七年には二度目、正徳二年には三度目に入国して、正徳二年七月二十八日に禄を加増せられて三百石になり、外に十人扶持を給せられた。この時は信政が宝永七年に卒したので、津軽家は土佐守信寿の世になっていた。辰盛は享保十四年九月十九日に致仕して、十七年に歿した。出羽守信著の家を嗣いだ翌年に歿したのである。辰盛の生年は寛文二年だから、年を享くること七十一歳である。この人は三男で他家に仕えたのに、その父母は宗家から来て奉養を受けていたそうである。
辰盛は兄重光の二男輔之を下野から迎え、養子として玄瑳と称えさせ、これに医学を授けた。即ち抽斎の高祖父である。輔之は享保十四年九月十九日に家を継いで、直に三百石を食み、信寿に仕うること二年余の後、信著に仕え、改称して二世道陸となり、元文五年閏七月十七日に歿した。