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みずぐるま

みずぐるま

山本 周五郎

「面白倶楽部」大日本雄辯會講談社、1954(昭和29)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,077 字 · 54 页

青空文庫

云わなければならない大事なことがあって、それが口に出せないというふうであった。若尾にはそれがよくわかった。彼女にも云うべきことがあった、ひと言だけ訊ねて、和次郎の気持を慥かめておきたいことが、――しかし、彼女にもそれを口に出すことはできなかった。

若尾は五月二十七日に江戸へ着いた。

初め大名小路の上邸へ入り、まもなく木挽町五丁目の中邸へ移った。そこは二の橋の袂にある角地で、一方に広い堀があり、庭の中へその堀から水を引いた池があった。邸内はさして広くはないが、すぐ裏が加納備中守の本邸で、どちらも庭境に樹が多く、市中とは思えないほど閑静であった。――若尾の住居は新しく建てたもので、小さいながら道場が付いていた。姫の手直しには御殿へあがるのであるが、その道場で家中の娘たちにも稽古をつけるのであった。そして、若尾のために弥兵衛という老僕夫妻と、滝乃という侍女が付けられた。

若尾は三日に一度ずつ上邸へあがる。手直しをするのは周防守の四女で、十五歳になる菊姫であった。

周防守には男子がなく、姫ばかり四人いた。長女には前田家から婿(左京亮康定)を迎え、二女は田沼大和守へ嫁し、三女は松平河内守乗保へ嫁していた。