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こよみ
暦
壺井 栄
「新潮」1940(昭和15)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 56,332 字 · 112 页
「こりゃただ事っちゃないぞ」
いねは利かぬ左手を右手でしっかりと握りしめて考えた。時化に会ったとは思えない。病気にちがいなかろう。そう思い到ると日ごろ酒を好きな重吉が知らぬ他国でいねと同じように突然中気にでもなって、助けを求めるには声は出ず、食べるものもなく餓死でもしているのではなかろうか。子供たちの心配もそれであった。もう小学校の二年生である実枝は、学校にいても心配でたまらず、一時間の授業が終るごとに海の見える校門のそばに立って沖を眺めた。真上から照されて海はぎらぎら光り、そんな時には見覚えの日向丸はおろか漁船のかげも見えなかった。女学校のクニ子は毎日弁当もろくに咽喉を通らず、一里の道を唇の色も失って駆けて帰ってきては、家の中の空気から吉凶をさぐりだそうとでもするような目をしてだまって母親の顔を見た。高子は高子でひまさえあれば郵便局の事務室の窓硝子越しに海を見やって、お父さんは船といっしょに鳴門の渦に巻きこまれたのではなかろうかと涙ぐんだ。そして電話のベルが鳴るたびに、どこから来るあてもない凶報が今に来はしないかと受話器を耳にあて、受信人の宛名を聞きとるまで胸が騒いだ。