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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

01 第一部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 页

青空文庫

「おん宿を申さばやと、存じ候」

甲斐は咳をした。政右衛門は振返って、甲斐の手まねを見て、提灯を消した。すると柵の中に提灯が見えた。

「待っていてくれ」

右側に石置場がある、政右衛門はそっちへ隠れ、甲斐はさらに歩いていった。

柵の中を動いていた提灯が停り、そこにある小者用の木戸があいた。甲斐が木戸をはいると、中年の武士が一人、提灯を持って、無言のまま案内に立った。それは茂庭家の用人、紺野四郎兵衛という者であった。

仮屋造りの小屋の、坪庭へはいり、縁側へあがると、茂庭周防が待っていた。周防定元は甲斐より三つ若い、背丈も甲斐より少し低いが、肉づきはよく、躯は逞しい。濃い眉、きれあがった大きな眼、そしてひきむすんだ口つきなどに、意志のつよい性格があらわれているようであった。

「途中、大丈夫でしたか」

「だと思います」

「どうぞ、お待ちかねです」と周防が云った、「夕方の五時から酒で、まだ続いているが、酔ったような顔もなさらない、むかしからあんなにお強かったのですか」

「そういう噂ですね、私は酒のお相手をしたことはないが」

甲斐はかぶりものをとり、足袋をぬいだ。周防は奥座敷へ案内した。