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きょうしゅうのしじん よさぶそん

郷愁の詩人 与謝蕪村

萩原 朔太郎

蕪村の俳句について「生理 1」1933(昭和8)年6月、春の部「生理 2」1933(昭和8)年8月、夏の部「生理 3」1933(昭和8)年11月、秋の部「生理 4」1934(昭和9)年5月、冬の部「生理 5」1935(昭和10)年2月、芭蕉私見(前半部分)「コギト 第四十二号」1935(昭和10)年11月、芭蕉私見(後半部分)「俳句研究 第三巻第一号」1936(昭和11)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,038 字 · 78 页

青空文庫

序

序

蕪村や芭蕉の俳句に関しては、近頃さかんに多くの研究文献が輩出している。こうした時代において、著者の如く専門の俳人でもなく、専門の研究家でもない一詩人が、この種の著書をあらわすということは、無用の好事的余技の如く思われるが、決してその然らざる必然の理由があるのである。というのは、従来世に現われている蕪村論や芭蕉論は、すべていわゆる俳人の書いたものであり、修辞や考証の解説上で、専門的に入念を極めた絶好の書であるけれども、俳句そのものの本質しているリリックの真精神を意外に忘却しているものが多いのである。特に蕪村の俳句にいたっては、子規以来単なる写生主義ということで定評づけられ、一もその真の詩的精神――俳句のエスプリする哲学原理――を批判されてない。俳壇のいわゆる俳人たちは、彼らの宗匠的主観に偏して、常に俳句を形態上のレトリックでのみ皮相な手法的技巧観で鑑賞するため、句が詩情している本質のポエジイと、その背後にある主観の貫ぬく哲学とを、ややもすれば閑却無視することになるのである。つまり彼らは、俳句が抒情詩であることの本義を忘れて、単にこれを形態上のレトリックでのみ、皮相に解釈しているのである。