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きょうしゅうのしじん よさぶそん

郷愁の詩人 与謝蕪村

萩原 朔太郎

蕪村の俳句について「生理 1」1933(昭和8)年6月、春の部「生理 2」1933(昭和8)年8月、夏の部「生理 3」1933(昭和8)年11月、秋の部「生理 4」1934(昭和9)年5月、冬の部「生理 5」1935(昭和10)年2月、芭蕉私見(前半部分)「コギト 第四十二号」1935(昭和10)年11月、芭蕉私見(後半部分)「俳句研究 第三巻第一号」1936(昭和11)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,038 字 · 78 页

青空文庫

春の部

遅き日のつもりて遠き昔かな

春の暮家路に遠き人ばかり

であり、昔々しきりに思う、子守唄の哀切な思慕であった。実にこの一つのポエジイこそ、彼の俳句のあらゆる表現を一貫して、読者の心に響いて来る音楽であり、詩的情感の本質を成す実体なのだ。以下その俳句について、個々の評釈を述べると共に、この事実を詳しく説いて見たいと思う。

春の部

遅き日のつもりて遠き昔かな

蕪村の情緒。蕪村の詩境を単的に咏嘆していることで、特に彼の代表作と見るべきだろう。この句の咏嘆しているものは、時間の遠い彼岸における、心の故郷に対する追懐であり、春の長閑な日和の中で、夢見心地に聴く子守唄の思い出である。そしてこの「春日夢」こそ、蕪村その人の抒情詩であり、思慕のイデアが吹き鳴らす「詩人の笛」に外ならないのだ。

春の暮家路に遠き人ばかり

薄暮は迫り、春の日は花に暮れようとするけれども、行路の人は三々五々、各自に何かのロマンチックな悩みを抱いて、家路に帰ろうともしないのである。こうした春の日の光の下で、人間の心に湧いて来るこの不思議な悩み、あこがれ、寂しさ、捉えようもない孤独感は何だろうか。蕪村はこの悲哀を感ずることで、何人よりも深酷であり、他のすべての俳人らより、ずっと本質的に感じやすい詩人であった。