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きょうしゅうのしじん よさぶそん
郷愁の詩人 与謝蕪村
萩原 朔太郎
蕪村の俳句について「生理 1」1933(昭和8)年6月、春の部「生理 2」1933(昭和8)年8月、夏の部「生理 3」1933(昭和8)年11月、秋の部「生理 4」1934(昭和9)年5月、冬の部「生理 5」1935(昭和10)年2月、芭蕉私見(前半部分)「コギト 第四十二号」1935(昭和10)年11月、芭蕉私見(後半部分)「俳句研究 第三巻第一号」1936(昭和11)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,038 字 · 78 页
蕪村の場合で言えば、リリックは詩の背後に隠されているのである。
芭蕉と蕪村におけるこの相違は、両者の表現における様式の相違となり、言葉の韻律において最もよく現われている。芭蕉の俳句においては、言葉がそれ自身「咏嘆の調べ」を持ち、「歌うための俳句」として作られている。たとえば上例の諸句にしても、「この道や行く人なしに秋の暮」などの句にしても、言葉それ自身に節奏の抑揚があり、その言葉の節付けする抑揚が、おのずからまた内容の沁々とした心の咏嘆(寂びしおり)を表出している。「この秋は何で年よる雲に鳥」という句は、「何で年よる」という言葉の味気なく重たい調子。「雲に鳥」という言葉の軽く果敢ない音律によって構成され、そしてこの「調べ」の構成が、それ自ら句の詩情するリリシズムを構成しているのである。故に芭蕉も弟子に教えて、常に「俳句は調べを旨とすべし」と言っていたという。「調べ」とは西洋の詩学で言う「韻律」のことであり、言葉の抑揚節奏する音楽のことである。そして芭蕉の場合において、その音楽は咏嘆のリリシズムを意味していたのだ。
蕪村の俳句においては、この点で表現の様式がちがっている。