轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
きょうしゅうのしじん よさぶそん
郷愁の詩人 与謝蕪村
萩原 朔太郎
蕪村の俳句について「生理 1」1933(昭和8)年6月、春の部「生理 2」1933(昭和8)年8月、夏の部「生理 3」1933(昭和8)年11月、秋の部「生理 4」1934(昭和9)年5月、冬の部「生理 5」1935(昭和10)年2月、芭蕉私見(前半部分)「コギト 第四十二号」1935(昭和10)年11月、芭蕉私見(後半部分)「俳句研究 第三巻第一号」1936(昭和11)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,038 字 · 78 页
に存している。即ち一言にして言えば、蕪村の俳句は「若い」のである。丁度万葉集の和歌が、古来日本人の詩歌の中で、最も「若い」情操の表現であったように、蕪村の俳句がまた、近世の日本における最も若い、一の例外的なポエジイだった。そしてこの場合に「若い」と言うのは、人間の詩情に本質している、一の本然的な、浪漫的な、自由主義的な情感的青春性を指しているのである。
芭蕉と蕪村とは、この点において対蹠的な関係を示している。もちろん本質的に言うならば、芭蕉のポエジイにもまた、真の永遠的の若さがある。――すべての一流の芸術は本質的に皆若さを持っている。その精神に「若さ」を持たない芸術は、決して真の芸術ではない。特に詩においてそうである。――しかしながら芭蕉は、趣味としての若さを嫌った。西行を好み、閑寂の静かさを求め、枯淡のさびを愛した芭蕉は、心境の自然として、常に「老」の静的な美を慕った。「老」は彼のイデア――美しきものの実体観念――だった。それ故に彼の俳句は、すべての色彩を排斥して、枯淡な墨絵で描かれている。もちろん僕らは、その墨絵の中に訴えられている、詩人の深い悩みと感傷とを感ずる故に、それは決して非情緒的ではないけれども、趣味としての反青春的風貌を感ずるのである。