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みずぐるま

みずぐるま

山本 周五郎

「面白倶楽部」大日本雄辯會講談社、1954(昭和29)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,077 字 · 54 页

青空文庫

目黒の行人坂と本郷丸山との二カ所から出た火が、西南の烈風に煽られてひろがり、長さ六里、幅一里にわたって江戸の市街を焼いた。江戸城も虎ノ門はじめ、日比谷、馬場先、桜田、和田倉、常盤橋、神田橋、などの諸門が焼け、その各門内にある諸侯の藩邸は灰燼となった。

松平家でも木挽町の中邸は残ったが、それは風上に堀があったからで、邸内の者はひと晩じゅう堀から水を汲みあげては、ふりかかる火の粉を防ぎとおした。大名小路の本邸も焼け、浜町の下邸も焼けたので、藩侯の家族と側近の人々が中邸へ移って来た。若尾の道場もむろんその人たちの宿所に当てられ、稽古は中止されて、若尾自身も災害のあと始末のための、雑多な用事に駆け廻らなければならなかった。こうしているうちに、或る日、――谷口修理と侍長屋の脇で出会った。彼は顔と頭の半分を晒木綿で巻き、右手もやはり晒木綿で巻いて、頸から吊っていた。

「逢いたかった、ずいぶん心配しましたよ」と修理は云った、「無事だということは、こっちへ来るとすぐ人に聞いたけれど、自分の眼で見るまでは安心できなかった、けがもなにもしなかったんですね」

「ええ、髪を少し火の粉で焦がしただけですわ」