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きゅうけつき

吸血鬼

江戸川 乱歩

「報知新聞夕刊」1930(昭和5)9月30日~1931(昭和6)3月12日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 190,554 字 · 381 页

青空文庫

唇のない男

唇のない男

恋人達のこの不吉な予感は、不幸にして、間もなく適中する時が来た。全く想像さえしなかった恐ろしい事件が起った。

岡田道彦が怪写真を残して立去ってから、半月ほどたったある日(彼はその間一度も鹽原へ帰って来なかった)三谷や倭文子の泊っている同じ宿へ、世にも奇怪な一人物が投宿した。

椿事というのは、まるでその人物が悪魔のつかわしめででもあった様に、彼が宿についた丁度その日に突発したのだ。偶然の一致には相違ない。だが、何かしら異様な因縁を感じないではいられぬ。

その人物は、後々まで、この物語に重大な関係を持っているので、ここにやや詳しくその風を記しておく必要がある。

紅葉が色づき始め、遊山客も日毎にふえて行く季節なのに、その日は、しょぼしょぼ雨が降っていたせいもあるが、魔日とでもいうのか、鹽の湯A館には、妙に客の少い日であった。

夕方になって、やっと一台、貸切自動車が玄関に横づけになった。

中から、一寸見たのでは、六十歳以上の、ヨボヨボの爺さんが、運転手の腕にすがって降りて来た。

「なるべく近所に客のない部屋へね」

老人はフガフガと鼻へ抜ける、不明瞭な声で、ぶっきら棒にいって、敷台を上った。