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しっちょうき
失蝶記
山本 周五郎
「別冊文藝春秋」文藝春秋新社、1959(昭和34)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,072 字 · 44 页
七
「そんな必要はない、おれ一人で充分だ」と私は首を振りました、「それより見張りに誤りのないようにしてくれ」
梓は筆を置いて、静かに低頭しました。
七
夜の十時を過ぎていたでしょうか、私は約束の場所にいて、提灯の光りがゆっくりと三度、円を描くのを認めました。
そこは西山から来る道が、細い流れに架けた土橋を渡り、城下のほうへと、やや北に曲っている角で、道傍には松が二三本と、灌木の茂みがありました。私は八時ころそこへいったのですが、梓が待っていて、別墅のほうを指さしながら頷いてみせました、真壁が来ているのかと訊きますと、もういちどはっきり頷き、火のついていない提灯を三度、まるく振ってみせました。
「わかった」と私は云いました、「あとは引受けたからいってくれ」
梓は会釈をして去りました。
それから約一刻、農家の若者が二た組ほど通ったほかには、人のけはいもしませんでした。月はなく、星空だが雲があるので、あたりは殆んど闇です。眼が馴れてからも、乾いた道がほの白く、ぼんやりと見えるだけでした。――風が少し吹いていて、どこからか笛の音が聞えて来るようです。村ざとではおそらくもう祭の稽古を始めていることでしょう、暗い野づらの向うを見ていると、現実に笛の音が聞えて来るように思われました。