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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

02 第二分冊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 190,406 字 · 381 页

青空文庫

彼は毎夜よく大睡した。眠りつけない夜などは知らなかった。母の夢も見なかった。亡父の夢も見なかった。眠ったが最後、天地も彼もけじめのない、一個の生態でしかなかった。

――だが。

起きると、途端に、彼は彼であった。

「ごんぞ! ごんぞ!」

「はあッ。……もうお目ざめでございますか」

「馬を出せ」

「へ……?」

「馬を曳け」

「お馬を?」

「さればよ。今朝からは早出仕だ。いや、こん夜も明夜も帰宅すまい」

「生憎と、御当家にはまだ、馬も厩もございませぬが」

「わからぬ奴、近所から借りて来い。遊山に乗るのではない、御奉公のため要るのだ。遠慮なく申して曳いて来い」

「でも……夜明けとは申せ、まだ外は暗うございますが」

「寝ていたら、門を叩け。わが事と思うからそちは尻ごみするのだろう。御奉公のためだ、差しつかえはない」

ごんぞは、あたふたと、衣服を纒うと、戸外へ飛んで行った。

何処からか一頭の駒を曳いて彼はもどって来た。門に出て、待ちかねていた無造作な主人は、何処から借りて来たかなどとも訊きはしない。もうわが物のように、それへ乗って、夜明けの闇を駈けていた。

彼は、工事に携わっている主なる職方の棟梁の屋敷を、六、七軒駈けまわった。