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にほんせいしんしけんきゅう

日本精神史研究

和辻 哲郎

推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页

青空文庫

に書き与えたものと記されている。三十五歳の時には『学道用心集』の著がある。後に永平二祖となった懐奘もこのころに彼についた。その後二年を経て、企てられた伽藍は落成し、その年の暮れには懐奘が師として学人を接化することを許されている。このころより彼の語録も弟子たちによって筆録せられた。ことに重んずべきは、懐奘が師事の後三、四年の間に筆録したと言われる『正法眼蔵随聞記』である。

これらの年の間に飢鍾の惨苦はすでに去ったが、人心の不安は依然として鎮まらなかった。政権を擁する武士の階級にさえも現世的欲求を捨てて仏法に帰しようとするものが少なくはなかった。しかし古い教権は、なおその武力的示威を止めない衆徒の手中にあった。新興の念仏宗は、この教権の抗議のゆえに禁止せられなくてはならなかった。従って武士の階級が最も容易に近づき得るのは、ただこの清新なる禅宗のみであった。この形勢を道元が看取しないはずはない。しかし彼は、生涯「帝者に親近せず、丞相と親厚ならざりし」天童如浄の弟子であった。彼の目ざすのは真理王国の建設であって、この世に勢力を得ることではなかった。彼は「仏法興隆のために」