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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

01 第一部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 页

青空文庫

「そんなことはできない」

「どうしてもですか」

甲斐は襖のほうへゆき、襖をあけて出た。うしろから、律が、「あなた」と訴えるように呼んだ。

甲斐は振返って云った。

「母上によろしく伝えてくれ」

「あなた、――」

甲斐は玄関へ出ていった。

玄関には、松原十右衛門、岡本次郎兵衛、中黒達弥の三人が控えていた。甲斐が出るのを待っていたように、おくみが杉戸のほうから、刀を持って送りに出て来た。律の来るようすはなかった。

「私は今夜は戻れないと思う」と甲斐は三人に云った。「十右衛門、奥は持病が出ているようだ、途中よく気をつけてやってくれ」

「承知つかまつりました」

「達弥、――」と甲斐は彼を見た。

手をついて見上げた中黒達弥の端正な顔が、きっと、するどくひき緊った。

「おまえは江戸に残れ」と甲斐は云った。

達弥は眼をそらさずに答えた、「おくち返しをするようですが、母親が病んでおりますので、できることなら帰国させて頂きとうございます」

「いや、おまえは残るのだ」と甲斐は云った、「正月に柴田(内蔵介)どのがのぼられれば私も帰国する、達弥はそれまで江戸にいるのだ」

達弥はなにか云おうとしたが、黙って頭を垂れた。