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たきぐち
滝口
山本 周五郎
「小説新潮」新潮社、1963(昭和38)年11月〜1964(昭和39)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 49,815 字 · 99 页
あたし小さいじぶんからお侍にあこがれていました、とおりうはいつか話した。平河町の料理屋へ移ったとき、そこは侍客が多いのでうれしかったという。そしてこの男とめぐりあったのだ。おちぶれてしまったいまでも、この男はなかなかの人品であり、さほどよごれた感じは身についていない。さっき見た隣りの女房でも面倒をみているのか、着ている物もさっぱりとして、仕立て直しではあろうが、きちんと折目がついていた。おそらく、おりうと初めて会ったころは、相当ひとめをひく男ぶりだったに違いない、と安宅は思った。
――この男にも父母があり、友人があり、親族があった、式服をつけて江戸城へ登ったこともあろうし、学問をし武芸もならったことだろう、と安宅は思った。世襲の役がなかったにしろ、やがてめざましく出世したかもしれないし、平凡に妻をもらい子を儲けて、安穏に一生をくらせたかもしれない、だがこの男はそうはならなかった、三河以来という由緒ある家柄と、八百石の禄を捨てたうえ、いまこのような田舎の城下町までながれて来てしまった、ただ一人の女のためにだ、と安宅は心の中で呟いた。
芳村伊織は語り続けていた。