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たきぐち
滝口
山本 周五郎
「小説新潮」新潮社、1963(昭和38)年11月〜1964(昭和39)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 49,815 字 · 99 页
が、私にはその一つ一つが、血をふく傷のようになまなましく、思いだすたびにいまでも胸を抉られるように感じるんです」
「べつに退屈ではないが」安宅は冷や酒を啜ってから、なだめるような眼で相手を見た、「そこまでつきつめた気持でいて、今日までになにか打つ手はなかったのかね」
芳村伊織はそっと首を振った、「ええ、待つこと以外にはね」
「待つとは、なにを」
「初めてあなたに話しかけたとき」と芳村は力のぬけた調子でゆっくりと云った、「あの女のために身をほろぼした男が幾人もあった、と云いました、実際に身をほろぼした男が幾人もいたのを、私は知っているんです」
益村安宅がきき返した、「なにを待っているのか、とおれはきいたんだよ」
「これまで話したことで、察してもらえると思ったんですがね」
「おれは銭勘定をする商人のように、現実的な人間だと云った筈だ、想像や推察でものごとの判断などはしないよ」安宅はちょっと皮肉な口ぶりで云った、「けれども、男がそんなに長いあいだ、一人の女を思い詰めていたということは信じかねるな」
「世の中には、あなたの思いもよらないような人間や出来事が、幾らもあるものです」