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たきぐち

滝口

山本 周五郎

「小説新潮」新潮社、1963(昭和38)年11月〜1964(昭和39)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 49,815 字 · 99 页

青空文庫

「なにを待っているか、という返辞はまだ聞けないのかね」

芳村は一升徳利の酒を、二つの燗徳利に移した。安宅と同じように、芳村もあまり量は飲まないらしい。半刻ちかくも経っているのに、酒はまだそれほど減ってはいなかった。こういうふうに転落してきた人間は、自分の転落してきたことを看板にのんだくれるものだ。と安宅は思い、同藩の侍たちにも幾人かそういう男がいたことを、心の中で数えてみた。だがこの芳村はそうではない。おりうのために家を潰し、侍であることも捨てながら、やけになったり、のんだくれることで自分を悲愴にみせかけようとしたりはしない。するとこの男は本気なんだ、本気になってなにかを待っているんだな、と安宅は思った。

「自分を弁護するわけではないが」と芳村は云った、「おりうのために身をほろぼした者がいること、おりうには近よらないほうがいいと、あなたに忠告したことに嘘はないんです」

「それならどうして袖ヶ崎へゆかせなかった、たとえ身をほろぼす男がもう一人できても、そこもとには関係のないことだろう」

芳村伊織は十拍子ほど黙っていて、それからおもむろに云った、「嫁菜という草がありますね、こちらではなんというか、江戸にいたころ野がけにいって摘んできて、浸し物にしたり、めしに炊きこんだりして食べた覚えがあります」