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ささめゆき
細雪
谷崎 潤一郎
02 中巻
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 194,628 字 · 371 页
妙子は紹介が済むと、寝台の枕もとへ両膝を衝いて、
「米やん」
と、小声で云った。
「―――中姉ちゃんが来てくれはったで」
「痛い痛い痛い痛い」
病人は矢張背中を此方に向けて壁の一点を視詰めたまま、そう云っていた。幸子は妙子の後に立って恐る恐る覗き込んだが、右を上にして臥ている横顔は、そんなに窶れてもいず、血色も思った程悪くはなかった。毛布を腰のあたりまで剥いで、ガーゼの寝間着一枚でいるのであるが、はだけた襟元やまくれ上った袖口から見える胸や二の腕の逞ましさなども変りはなく、ただ、繃帯が耳のところで十文字に、一つは顱頂部から頤へかけて、一つは額から後頭部へかけて巻いてあった。
「米やん」
と、妙子がもう一度云った。
「―――中姉ちゃんが来てくれはった。―――」
幸子は、妙子が板倉のことを「米やん」と呼ぶのを始めて聞いた。蘆屋の家で妙子が彼の噂をする時はいつも「板倉」と云っており、幸子も、雪子も、悦子までも、蔭では「板倉々々」と呼び捨てにしているのであるが、彼の本名は「板倉勇作」で、「米やん」と云うのは、奥畑商店に丁稚奉公をしていた時分、「米吉」と呼ばれていたところから起ったのであった。