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ささめゆき
細雪
谷崎 潤一郎
01 上巻
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 150,580 字 · 287 页
「その、一番上の右の小抽出あけて御覧、―――」
と、紅棒を取って、鏡の中の顔へ接吻しそうなおちょぼ口をした。
「あるやろ、そこに」
「あった、―――これ、雪あんちゃんに見せたのん」
「見せた」
「どない云うた」
「例に依ってどないも云わへん、『ああこの人』云うただけや。こいさんどう思う」
「これやったらまあ平凡や。―――いや、いくらかええ男の方か知らん。―――けどどう見てもサラリーマンタイプやなあ」
「そうかて、それに違いないねんもん」
「一つ雪あんちゃんにええことがあるで。―――仏蘭西語教せてもらえるで」
顔があらかた出来上ったところで、幸子は「小槌屋呉服店」と記してある畳紙の紐を解きかけていたが、ふと思いついて、
「そやった、あたし『B足らん』やねん。こいさん下へ行って、注射器消毒するように云うといてんか」
脚気は阪神地方の風土病であるとも云うから、そんなせいかも知れないけれども、此処の家では主人夫婦を始め、ことし小学校の一年生である悦子までが、毎年夏から秋へかけて脚気に罹り罹りするので、ヴィタミンBの注射をするのが癖になってしまって、近頃では医者へ行く迄もなく、強力ベタキシンの注射薬を備えて置いて、家族が互に、何でもないようなことにも直ぐ注射し合った。