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きょうしゅうのしじん よさぶそん
郷愁の詩人 与謝蕪村
萩原 朔太郎
蕪村の俳句について「生理 1」1933(昭和8)年6月、春の部「生理 2」1933(昭和8)年8月、夏の部「生理 3」1933(昭和8)年11月、秋の部「生理 4」1934(昭和9)年5月、冬の部「生理 5」1935(昭和10)年2月、芭蕉私見(前半部分)「コギト 第四十二号」1935(昭和10)年11月、芭蕉私見(後半部分)「俳句研究 第三巻第一号」1936(昭和11)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,038 字 · 78 页
蕭条として石に日の入る枯野哉
木枯や何に世渡る家五軒
句の景象しているものは明白である。正岡子規らのいわゆる根岸派の俳人らは、蕪村のこうした句を「印象明白」と呼んで喝采したが、蕪村の句には、実際景象の実相を巧みに捉えて、絵画的直接法で書いたものが多い。例えば同じ冬の句で
寒月や鋸岩のあからさま
木枯しや鐘に小石を吹きあてる
など、すべていわゆる「印象明白」の句の代表である。そのため非難するものは、蕪村の句が絵画的描写に走って、芭蕉のような渋い心境の幽玄さがなく、味が薄く食い足りないと言うのである。しかし「印象明白」ばかりが、必ずしも蕪村の全般的特色ではなく、他にもっと深奥な詩情の本質していることを、根岸派俳人の定評以来、人々が忘れていることを責めねばならない。
木枯や何に世渡る家五軒
木枯しの吹く冬の山麓に、孤独に寄り合ってる五軒の家。「何に世渡る」という言葉の中に、句の主題している情感がよく現われている。前に評釈した「飛弾山の質屋閉しぬ夜半の冬」と同想であり、荒寥とした寂しさの中に、或る人恋しさの郷愁を感じさせる俳句である。前に夏の部で評釈した句「五月雨や御豆の小家の寝醒めがち」も、どこか色っぽい人情を帯びてはいるが、詩情の本質においてやはりこれらの句と共通している。