轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
ちめいのけんきゅう
地名の研究
柳田 国男
地名の話「地学雑誌 第二四年第二八六号~第二八八号」東京地学協会、1912(大正元)年10月15日、11月15日、12月15日<br>地名と地理「地理学評論 第八巻第五号~第六号」古今書院、1932(昭和7)年5月1日、6月1日<br>地名と歴史「愛知教育 第五五九号」愛知県教育会、1934(昭和9)年7月1日<br>地名考説 一~四、一九後半、三一後半「民族」民族発行所、1926(大正15)年5月~1927(昭和2)年3月<br>地名考説 五~一八、一九前半、二〇~二二、二五~二八、三一前半「歴史地理」三省堂書店、1910(明治43)年2月~1912(明治45)年8月<br>地名考説 四五~四八「土俗と伝説」文武堂書店、1918(大正7年)8月~1919(大正8)年1月<br>地名考説 五五「考古学雑誌」聚精堂、1911(明治44)年5月15日<br>地名考説 二三~二四、二九、三〇、三二~四四、四九~五四「郷土研究」郷土研究社、1913(大正2)年3月~1917(大正6)年3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 176,308 字 · 347 页
二七 反町
『新篇風土記稿』によれば寛永の頃まで、将軍遊猟の前に猪鹿をここに溜めておいたから村の名となるとある。この説は大規模の狩倉の興味を想像することができぬ者の臆測と思う。せっかくの巻狩に臨み太閤様の松蕈のごとく、または東京市内の釣堀のごとく、当日の獲物が一区の平地に飼い附けてあっては、狂言の大名ならばいざ知らず、元気な若殿原はまずもって承知できないであろう。自分の考えでは鹿飼は勢子のことで、しかもその住地はすなわち一の狩集まりであったから、シシタマリと呼びまた鹿飼とも呼んだのを後に二つの名が合体したのであろう。あるいはまた西州の方言でタマリをタマライと延ばしたのと反対に東国ではこれをタメ・アツメと約言する習いであったか。玉利・田丸の類の地名を、通例はこれを田余すなわち未用地の義とするが妥当でない。これもまた一つの狩集であったかも知れぬ。
二七 反町
横浜市内旧神奈川の一区に反町がある。今はタンマチと訓む由であるも、反町大膳の在所たる上野新田郡の反町を始め、諸国にある者の多くはソリマチと訓んでいる。一反二反の反をソリと言うことが俚人に耳遠いためにこうした読み方は起ったのであろう。