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ちめいのけんきゅう
地名の研究
柳田 国男
地名の話「地学雑誌 第二四年第二八六号~第二八八号」東京地学協会、1912(大正元)年10月15日、11月15日、12月15日<br>地名と地理「地理学評論 第八巻第五号~第六号」古今書院、1932(昭和7)年5月1日、6月1日<br>地名と歴史「愛知教育 第五五九号」愛知県教育会、1934(昭和9)年7月1日<br>地名考説 一~四、一九後半、三一後半「民族」民族発行所、1926(大正15)年5月~1927(昭和2)年3月<br>地名考説 五~一八、一九前半、二〇~二二、二五~二八、三一前半「歴史地理」三省堂書店、1910(明治43)年2月~1912(明治45)年8月<br>地名考説 四五~四八「土俗と伝説」文武堂書店、1918(大正7年)8月~1919(大正8)年1月<br>地名考説 五五「考古学雑誌」聚精堂、1911(明治44)年5月15日<br>地名考説 二三~二四、二九、三〇、三二~四四、四九~五四「郷土研究」郷土研究社、1913(大正2)年3月~1917(大正6)年3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 176,308 字 · 347 页
これと接続する岡の端は、いかなる場合にも農村を構えるに適している。すなわち前面が開けて日射通風によろしく、雨水はすぐ流れ落ちて湿気の患いがない上に米を作り得る土地が手近にある。しこうして下館のごときはかかる低地を三方に控えているのである。中世の武人が軍略の必要からその住居地を選定する場合にも、これほど好都合の土地は多くはなかった。平和の時節に自身耕作を経営するには右申す通りである。一朝干戈の沙汰が起っても、退いて守るにはタテの方が最も良い。濠や柵などは限りある人の力になるもので、その万全を期するためには莫大の労費を要する。これが天然の足入場であれば、間近く敵を寄せ附けるまでもなく、その行進の自由を妨げられているうちに、遠矢で防戦することも容易である。近年の平城にも川や湖水のごとき天然の地形を利用することは多かったが、大名がいよいよ大きくなって広い城下町を控えねばならぬようになれば、ヤチに連なる岡の片端などに引っ込んではおられず、どうしても石垣とか二重三重の堀池とか、人間の技術をもって補充するの必要ある土地にも城を築くことになったが、昔の武士は淋しいなどは平気で、なるだけ往来のしにくい場処を探してあるいたので、つまりは城もまた多くの百姓と同様に、田舎から都会へ引っ越す傾向があったのである。