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ちめいのけんきゅう
地名の研究
柳田 国男
地名の話「地学雑誌 第二四年第二八六号~第二八八号」東京地学協会、1912(大正元)年10月15日、11月15日、12月15日<br>地名と地理「地理学評論 第八巻第五号~第六号」古今書院、1932(昭和7)年5月1日、6月1日<br>地名と歴史「愛知教育 第五五九号」愛知県教育会、1934(昭和9)年7月1日<br>地名考説 一~四、一九後半、三一後半「民族」民族発行所、1926(大正15)年5月~1927(昭和2)年3月<br>地名考説 五~一八、一九前半、二〇~二二、二五~二八、三一前半「歴史地理」三省堂書店、1910(明治43)年2月~1912(明治45)年8月<br>地名考説 四五~四八「土俗と伝説」文武堂書店、1918(大正7年)8月~1919(大正8)年1月<br>地名考説 五五「考古学雑誌」聚精堂、1911(明治44)年5月15日<br>地名考説 二三~二四、二九、三〇、三二~四四、四九~五四「郷土研究」郷土研究社、1913(大正2)年3月~1917(大正6)年3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 176,308 字 · 347 页
ゆえをもってこれを九十九塚という云々(肥後国誌)。
百塚・百穴などの名は、塚の数のはなはだ多いのを大数をもって呼べるものともいえようが、百の数に一つ足りない九十九塚に至っては意味なしとせぬ。九十九をツクモという理由は、『袖中抄』以来の諸説いずれも信を執りがたいからまずは他日の研究に譲ろう。ただここに申したいのは、右の九十九塚の伝説がはなはだしく熊野の九十九王子の思想に似たことである。『御幸記』などにも見えるごとく、京より三山に詣でるには、途次に九十九箇所の王子祠を拝し、その第百番目が熊野である。いわゆる塚の上におのおの一本の矢または串を立てるというのも、あるいはこれをもって熊野を祭ったものではなかろうか。
矢を串と称する今一つの証拠は、神武紀孔舎衛坂の戦の条に「流矢ありて五瀬命の肱脛に中れり云々」。『古事記』の同じ条には「五瀬命御手に登美毘古が痛矢串を負いたまいき」とある。『日本紀』の流布本もまたこれによりて流矢をイタヤグシと訓んでいる。これをもって思えば、後世イグシといい玉串と称し、形はまったく変じたがクシの原義はすなわち箭のことであろう。今日まで苗代の水口に挿むところの斎串が、竹の端に紙片などを挟んだのは、別に護符などの入れ物というのではなくて、昔の矢の形の遺ったものだろう。