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だんがいのさっかく

断崖の錯覚

黒木 舜平

「文化公論 第四巻第四号」1934(昭和9)年4月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,483 字 · 26 页

青空文庫

一杯のんで、すでに酔った。二杯のんで、さらに酔った。三杯のんで、心から愉快になった。ちっとも気持がわるいことはないのである。断髪の少女が、今夜は私の傍につききりであった。いよいよ、気持がわるい筈はないのである。私の不幸な生涯を通じて、このときほど仕合せなことはいちどもなかった。けれども私は、その少女と、あまり口数多く語らなかった。いや、語れなかった。

「君の名は、なんて言うの?」

「私、雪。」

「雪、いい名だ。」

それからまた三十分も私たちは黙っていた。ああ、黙っていても少女が私から離れぬのだ。沈黙のうちに瞳が物語るこのよろこび。私が昨夜書いた「初恋の記」にも、こんな描写がたくさんたくさんあったのだ。夜がふけるとともにお客がぽつぽつ見えはじめた。やはり雪は、私の傍を離れなかったけれど、他のお客に対する私の敵意が、私をすこし饒舌にした。場のにぎやかな空気が私を浮き浮きさせたからでもあったろう。

「君、僕の昨日のとこね、あれ、君、僕を馬鹿だと思ったろう。」

「いいえ。」雪は頬を両手でおさえて微笑んだ。「しゃれてると思ったわ。」

「しゃれてる? そうか。おい、君、ウイスキイもう一杯。