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だんがいのさっかく

断崖の錯覚

黒木 舜平

「文化公論 第四巻第四号」1934(昭和9)年4月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,483 字 · 26 页

青空文庫

二

私は絶望した。私は大作家になる素質を持っていないのだと思った。ああ、しかし、そんな内気な臆病者こそ、恐ろしい犯罪者になれるのだった。

二

私が二十歳になったとしの正月、東京から汽車で三時間ほどして行ける或る海岸の温泉地へ遊びに出かけた。私の家は、日本橋呉服問屋であって、いまとちがって、その頃はまだ、よほどの財産があったし、私はまたひとり息子でもあり、一高の文科へもかなりの成績ではいったのだし、金についてのわがままも、おなじ年ごろの学生よりは、ずっと自由がきいていた。私は、大作家になる望みを失い、一日いっぱい溜息ばかり吐いていたし、このままでいてはついには気が狂って了うかも知れぬと思い、せっかくの冬休みをどうにか有効に送りたい心もあって、その温泉行を決意したのであった。私はそのころ、年若く見られるのを恥かしがっていたものだから、一高の制服などを着て旅に出るのはいやであった。家が呉服商であるから、着物に対する眼もこえていて、柄の好みなども一流であった。黒無地の紬の重ねを着てハンチングを被り、ステッキを持って旅に出かけたのである。身なりだけは、それでひとかどの作家であった。