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ししゃのしょ
死者の書
折口 信夫
「日本評論 第十四巻第一号~三号」1939(昭和14)年1月~3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 62,340 字 · 126 页
郎女の声・詞を聞かぬ日はない身狭乳母ではあった。だがついしか此ほどに、頭の髄まで沁み入るような、さえざえとした語を聞いたことのない、乳母だった。
寺方の言い分に譲るなど言う問題は、小い事であった。此爽やかな育ての君の判断力と、惑いなき詞に感じてしまった。ただ、涙。こうまで賢しい魂を窺い得て、頬に伝うものを拭うことも出来なかった。子古にも、郎女の詞を伝達した。そうして、自分のまだ曾て覚えたことのない感激を、力深くつけ添えて聞かした。
ともあれ此上は、難波津へ。
難波へと言った自分の語に、気づけられたように、子古は思い出した。今日か明日、新羅問罪の為、筑前へ下る官使の一行があった。難波に留っている帥の殿も、次第によっては、再太宰府へ出向かれることになっているかも知れぬ。手遅れしては一大事である。此足ですぐ、北へ廻って、大阪越えから河内へ出て、難波まで、馬の叶う処は馬で走ろう、と決心した。
万法蔵院に、唯一つ飼って居た馬の借用を申し入れると、此は快く聴き入れてくれた。今日の日暮れまでには、立ち還りに、難波へ行って来る、と歯のすいた口に叫びながら、郎女の竪帷に向けて、庭から匍伏した。