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かがりびのおんな

篝火の女

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1935(昭和10)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,727 字 · 56 页

青空文庫

怖しく広い川幅を、帆を垂らして徐々に溯って行く――

客のひとりが、原始林の如く欝蒼としている左岸の森を指さして、

『あそこの森ん中に、観音様の祠ができて、この頃、時々人が詣るそうな』

『この辺は、何てえとこですか』

『江戸の庄のうちで、浅草というのでさ。あの丘が、汐見山とも、待乳山ともいう』

『じゃあ、ここが、梅若が人買に殺されたという隅田川か。……さびしい所だなあ』

白い川霧が降りていた。

漁村の灯が、チラと二つ三つ見える。そこが橋場の宿だった。外郎売は起ちあがって、

『やれ、着いたか。……皆さんお先に』

船に残る人々も、

『気をつけて行かっしゃれよ』

淡い旅情が漂う。

宿場といっても、ひどい茅ら屋が、薄暗い燈芯の明りを洩らして、三、四十軒ほどあるに過ぎなかった。

『おや?』

外郎売は、さがしていた、その眼を避けるように、船から降りた田舎娘は、一軒の木賃宿へついとかくれた。

『む、……あそこか』

見届けておいて、外郎売は何処へか立ち去った。

その晩である。もう、夜半に近い時刻。

この宿場を、十人、二十人位ずつ、具足だけ着けた兵が、疲れた足で駈けて行った。

馬の駈けてゆく音もした。