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かがりびのおんな

篝火の女

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1935(昭和10)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,727 字 · 56 页

青空文庫

黒髪刺客

轡虫が、いい音で啼きぬく。

陣幕のすそにたかっている蟋蟀の影までが、透いてみえる程に月は冴えていた。

と――その虫の音が、はたとやんだ。幕の外へ、いつのまにか、小猫のように這い寄って来て屈み込んでいる人影がある。

短い刃をうしろに秘して、陣幕のすきから寝息をのぞく――。黒髪をうしろへ長く垂れた田舎娘の刺客だった。

『熊楠ッ。――思い知ったかっ』

陣幕を刎ねあげて、躍りこむと、

『あっ、何するんだ』

と、そこに寝ていた町人がとび起て、彼女の腕をつかんだ。見ると、いつか古河の畑で別れたきりの外郎売だった。

『や? お前は、どうしてこんな所に』

『何のふしぎがあるものか。いつも薬を売りに来る御陣屋だもの』

『熊楠は、熊楠は』

『あぶねえ物を持ってるな。まあ離せ』

『お嬢様の御無念ばらし、刺しちがえて死ぬる気じゃ。おのれも、熊楠の手の者か』

『面倒くせえっ』

外郎売の男は、萩乃を組みふせて、声を出さないように、顔を布で縛った。そして、もう一重、内側の陣幕を上げて、

『相木様』

『おう、憎ッくい奴だ、八雲の召使いだな』

『どういたしましょう』

『その成敗は、貴様にまかせる。――今夜のうちにだぞ』