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かがりびのおんな

篝火の女

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1935(昭和10)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,727 字 · 56 页

青空文庫

雨なき夕立

戦線は近いのだ。

田舎娘は、辺りをながめて、

(ああ、遅かった……)

当惑の眼をみはってしまったが、それから幾日か経つと、どこで仕入れて来たのか、餅だの飴菓子だのを入れた竹籠を腕にかけて、畑や河原の兵たちの間を売り歩いていた。

甘い物にも、女にも飢えている足軽組の兵は、

『天人が餅売りにきた』

と噪いで、

『天人餅か、買ってやろう』

『こっちへもくれ』

軍目付の眼をしのんで迄、争って、彼女の竹籠を軽くした。

然し――どの兵も、この田舎娘の黒いやえ歯を見覚えている者はなかった。萩乃は心の裡で、これは八雲の側に侍いたきりで、あの小田原の邸に幾年も閉じこめられていた恩恵だと思った。

『だが、油断はできない。――あの外郎売だけは、何だか、自分の素姓を知っているような気がする』

――小田原から奥州船に乗るまでの苦心は、まったく危い橋であった。今考えると、よくもと思われるほどだった。然し、ほんとの危難や艱苦は、おそらくこれから先の道であろう。これから先、安中城までの道だと萩乃は覚悟している。

雨なき夕立

安中三郎進から八雲へきた手紙のうちは、

古河の利根川べりまで出で給わば、城兵をひいて、自らお迎え申さん――