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かがりびのおんな

篝火の女

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1935(昭和10)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,727 字 · 56 页

青空文庫

『はっ、では――』

目礼して、外郎売の男は、萩乃の体を横抱きにすると、魔風のように、何処かへ立ち去った。

その頃から何処となく、深夜の空気がさわがしかった。熊楠は、眼をかがやかせて、大地の音でもあるようなその気配を聞き澄ましていたが、愕然と起って、

『十介っ。魚住十介はおらんかっ』

十介は駈けて来て、槍と一緒に身を屈めた。

『なんだっ、あの遠い物声は』

『お味方です』

『味方?』

『されば、何者かが松井田の城を、相木勢にまかせておいては、百年経っても落ちるはずはないなどと申し触れる者があって、その為、御本陣氏政公からの御命で、里見義介、そのほかの手勢が、下後閑の間道から、急に、総攻めにかかったそうでございます』

『なに、この相木熊楠をさし措いて、総攻めにかかったと。ううむそうか……』

唇を噛んで、凝と、考えこんでいたが、突然、

『陣鉦、陣鉦っ。総がかりの鼓を打てや。夜の白むまでに、松井田の城は相木勢が乗り破った』

鎧を着こむと、

『十介、篝火を焚けっ、あるかぎりの篝火を焚けっ』

と、命じた。

十介は、それぞれの部将に、熊楠の命をつたえて駈けまわった。霹靂のように急なのである。