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おいついたゆめ
追いついた夢
山本 周五郎
「面白倶楽部」光文社、1950(昭和25)年11月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,427 字 · 41 页
「かしこまりました、それだけでようございますか」
それだけだと云って、和助はさりげなく店の中を眺めまわした。……十二の年からあしかけ三十二年になる。みじめな、暗い、濁った日々、ふり返ってみれば屈辱と悲哀に塗りつぶされた月日のようだ。しかしそれも今日が終りである、もう二度とこの店を見ることはないだろう。
――これでおさらばだ、二三日うちにひと騒ぎ起るだろう、おれの置き土産だ、ちょっとしたみものだから悠くり見て呉れ。
嘲けるように心のなかで呟いて、それから駕籠を呼ばせて店を出た。
新銭座の家へ帰った和助は、具合が悪いからと云って早く寝た。けれどもこれが最後と思うせいか、頭が冴えてどうにも眠れない、そのうちに十時の鐘が聞え、苛々してきたので起きあがって、妻に酒を云いつけた。
「お酒って、……いいんですか」妻のお幸は針を持ったまま良人を見た、「――お医者に止められてるっていうのに、なにか煎じ薬でも」
「うるさい、持って来ればいいんだ」
お幸はしぶしぶ立っていった。和助はそのうしろ姿を憎悪の眼で見やった。ずんぐりと胴の太い肥えた躰、勘のにぶさ、動作ののろさ、げびた口のききよう、すべてがいやらしく、やりきれないほど醜かった。