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きょうしゅうのしじん よさぶそん
郷愁の詩人 与謝蕪村
萩原 朔太郎
蕪村の俳句について「生理 1」1933(昭和8)年6月、春の部「生理 2」1933(昭和8)年8月、夏の部「生理 3」1933(昭和8)年11月、秋の部「生理 4」1934(昭和9)年5月、冬の部「生理 5」1935(昭和10)年2月、芭蕉私見(前半部分)「コギト 第四十二号」1935(昭和10)年11月、芭蕉私見(後半部分)「俳句研究 第三巻第一号」1936(昭和11)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,038 字 · 78 页
こういう形式は全く珍しく、蕪村の独創になるものである。単に同一主題の俳句を並べた「連作」という形式や、一つの主題からヴァリエーション的に発展して行く「連句」という形式やは、普通に昔からあったけれども、俳句と漢詩とを接続して、一篇の新体詩を作ったのは、全く蕪村の新しい創案である。蕪村はこの外にも、
君あしたに去りぬ夕べの心千々に
何ぞはるかなる
君を思ふて岡の辺に行つ遊ぶ
岡の辺なんぞかく悲しき
という句で始まる十数行の長詩を作ってる。蕪村はこれを「俳体詩」と名づけているが、まさしくこれらは明治の新体詩の先駆である。明治の新体詩というものも、藤村時代の成果を結ぶまでに長い時日がかかっており、初期のものは全く幼稚で見るに耐えないものであった。百数十年も昔に作った蕪村の詩が、明治の新体詩より遥かに芸術的に高級で、かつ西欧詩に近くハイカラであったということは、日本の文化史上における一皮肉と言わねばならない。単にこの種の詩ばかりでなく、前に評釈した俳句の中にも、詩想上において西欧詩と類縁があり、明治の新体詩より遥かに近代的のものがあったのは、おそらく蕪村が万葉集を深く学んで、上古奈良朝時代の大陸的文化――それは唐を経てギリシアから伝来したものと言われてる――を、本質の精神上に捉えていたためであろう。