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かみなりもんいほく

雷門以北

久保田 万太郎

「東京日日新聞」1927(昭和2)年6月30日~7月16日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,839 字 · 44 页

青空文庫

かよわせられた――浅草学校は、浅草に、その時分まだ数えるほどしかなかった「市立」のうちの最も古い一つだった。

毎日、わたしは、祖母と一しょに「馬車みち」――その時分まだ、東京市中、どこへ行っても電車の影はなかったのである。どこをみても「鉄道馬車」だったのである。だからわたしたちは「電車通り」という代りに「馬車みち」といった。東仲町のいま電気局のあるところに馬車会社があった――を越して「浅倉屋の露地」を入った。いまよりずっと道幅の狭かったそこは、しばらく両側に、浅倉屋の台所口と、片っぽの角の蕎麦屋の台所口とのつづいたあと、右には同じく浅倉屋の土蔵、左には、おもてに灰汁桶の置かれてあったような女髪結のうちがあった。土蔵のつづきに、間口の広い、がさつな格子のはまった平家があった。出羽作という有名なばくちうちの住居だった。三下が、始終、おもてで格子を拭いたり水口で洗いものをしたりしていた。――ときには笠をもった旅にんのさびしいすがたもそのあたりにみられた。

道をへだてて井戸があり、そばに屋根を茅で葺いた庵室といったかたちの小さなうちがあった。さし木のような柳がその門に枝を垂れ、おどろに雑草がそのあたりを埋ずめていた。