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しほんたいへいき

私本太平記(五)

吉川 英治

線上閱讀吉川 英治《私本太平記(五)(しほんたいへいき)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 252,330 字 · 505 頁

青空文庫

峠

一瞬。彼のあたまを、「留守に残してきた幼い千寿王やら妻の登子は?」と、遠くのものが、流星のようにかすめていた。

奇妙な幻覚だった。こんな中で思いもしなかったことである。思惟でも思慕でもありえない。

ぶンと、敵の中から、まだら羽の矢が一本、彼の体のどこかに中った。

高氏は覚えもしない。

草摺にも、折れ矢が立っている。いつかだいぶ深く入っていたのだ。横にもうしろにも、敵方の武者声がする。

そのうちに、

「足利殿の旗もと、大高二郎重成っ、敵将河野対馬の子通治を討ちとった」

と、どこかで聞えた。

濛々と剣の光も土ぼこりで煙ってみえる。その口の手勢のくずれは、あきらかだったが、さらに驟雨のような一陣の敵の長柄隊を、焼け跡の一角に見たので、高氏は、

「あれは交わせ」

と、急に駒をめぐらした。

その転陣の先へ、設楽五郎左の子権之助が、敵将斎藤玄基の首をひッさげて来て彼の見参に入れた。

もちろん、足利方でも、このわずかなまに、数百の死傷は出していた。雲の低い夕方である。暗くなるのが早かった。

峠

そのころ羅生門方面のたたかいも惨烈をきわめていた。まっかな光焔と黒けむりのうちに、昨日からでは千をこえる敵味方の屍が方々にすてられたままで、焦げたり踏みつけられたり、収容のひまもなく屍に屍をつみかさねていた。