Japanische Klassiker mit Furigana
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わすれのこりのき
忘れ残りの記
吉川 英治
Lesen Sie 忘れ残りの記 (わすれのこりのき) von 吉川 英治 (よしかわえいじ) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 193.050 Zeichen · 383 Bildschirme
ぼくの帰りがけの勤めを、すませてからにしてくれればいいとは毎度思ったが、お勢ちゃんと次郎さんの方にも、社の門を出る時間の憚りがあったのだろう。ぼくは云われる儘になっていた。けれど時によると、罫線場へ戻ってみても、まだ二人が何かヒソヒソしていることがよくあった。そんな時は自分達の手で、罫線器械のすえてある所の窓の雨戸は閉めきってあった。インキだらけな古畳と膠臭い暗がりの隅で逢曳きの男女のする事が行われていた。たとえぼくの跫音に気づいても二人は慌てて起きることはなかった。人体の作りあってる異様な形の物影は一そう深淵の物みたいに動かなかった。ぼくはその間、たいがい階段口の窓から外へ首を出しているのであった。相場町の鳴りの止んだ夕屋根やら伊勢山の空を眺めて、母を思い泛かべていた。台所の水音やら夕方の蚊唸りなどが耳にある。その背後を、やがて角刈の次郎さんとお勢ちゃんが、ふざけながら通って、階段を下りてゆく。一瞬、お勢ちゃんの髪油の匂いと、もっとそれに何か加わった感じのものが、ぼくの体にまで染まりつくほど残される。
名は忘れたが、小使部屋に、人の好いあばた顔の爺さんがいた。